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エピソード特集

「宮澤佐江といえば?」と聞かれると
ショートカット」「イケメンガール」と言った印象があげられます。
しかし彼女自身は、そのような容姿の部分よりも「メイキングなどで内面を見てもらいたい」…
と『Documentary of AKB48 to be continued 10年後、少女たちは今の自分に何を思うのだろう?』
のインタビューにて語っています。


AKB48のメンバーは、知られていないだけでそれぞれが様々なエピソードを持っています。
それらは興味がなければ知る事は出来ないし、調べるのも難しいことだと思います。
今回は宮澤佐江にまつわる温かいエピソードをを少しご紹介したいと思います。

▶ 「目ばり、気配り、心配り」
▶ 「なっちだけじゃないんだよ」
▶ 「一緒に話そうよ」
▶ 「今日は…」
▶ 「なんかいうことないの?」
▶ 「ファンレター」
▶ 「時間が無いことを言い訳にするな」
▶ 「逃げない」
▶ 「おばあちゃま」
▶ 「孫はAKB48のKチーム」
▶ 「自分から自分へのラブレター」
▶ 終わりに




「目ばり、気配り、心配り」
宮澤佐江が仕事をしていく上で最も気にかけていること。
それは「人と人との繋がり」です。

この人と一緒に仕事がしたい」「もう一度を会いたい」と思われるように
現場でのムードを作り出したり、気持ちよく仕事ができる事に対する意識はまさにプロです。

メンバーの一日を追った企画「AKB5400sec」では「挨拶」に関する大切さを語っています。


スタッフ「自分が思う自分のいいところを10個挙げてください」

宮澤「10個!?無理だろそれ…。

えーっ…自分のいいところは…「1に挨拶って考えてるところ」。
いつも、気持ちよく挨拶をしようって心掛けてるところ。」

(「AKB48 5400sec」より)


第三回選抜総選挙の際には雑誌に以下の様なことが掲載されました。

"仕事をしたスタッフはみんな彼女を好きになる。
彼女の事を悪く言うスタッフ、メンバーを見た事がない"

同じ現場で仕事をする人たちへの気遣い、挨拶は宮澤佐江が若いころから徹底されてきました。
彼女は公演の前に、必ず全メンバーに一声かけてから入るようにしているそうです。

板野
「佐江ちゃんはね、毎日笑顔ですごいなって尊敬してます。」

宮澤
「いやいやおかしいでしょ!あなたも笑顔でしょいつも」

板野
「でもほんとにね…!なんだろう。あれね。
何か…朝さ!ちゃんと一人一人に笑顔でおはようって言うじゃん」

宮澤
「いや気持ちが嫌なんだもんそれは」

板野
「偉いよね…。ほんとこの人偉いと思う。見習います」

(TeamK 6th Stage「RESET」公演 宮澤佐江20歳の生誕祭より)




この「挨拶」をかける理由は本人からもこう言及されていました。

同じステージ立つのに一言も喋らないで立つっていうのはあり得ないんですよね、私の中で。
絶対に一声かけてみんなで喋ってからじゃないと団結しないかなって思うから。


日本のアナウンサー徳光和夫さんは、彼女のこのような姿勢を
目ばり、気配り、心配り、この3拍子が揃っている」と評し、「息子の嫁にしたいメンバー」で
第1位に宮澤佐江を選びました。



「なっちだけじゃないんだよ」
この「心配り」は、時に彼女の中で熱い情熱に変わる事があります。

2007年1月のころ。
第2期生として、初期チームKを発足当時から支え続けてきたメンバー今井優高田彩奈が、
TeamK 3rd Stage『脳内パラダイス』公演の千秋楽をもって卒業する事が発表されます。

今井優

高田彩奈


この時期は、チームKの売りである「団結力」もピークに達していました。
チームKがちゃんとした形になってから初の卒業者に、メンバーも同様を隠せませんでした。
更に、今井優の卒業の後にはチームAと合流する「ひまわり組」公演を控えており、
それはチームKによる公演の一時的解散も意味していました。

そしてとうとう、6月の千秋楽をもって二人は卒業します。



2人が卒業し、チームKは新たな道を歩き始めます。
そんなとき、ずっと落ち込み続き前を向ききれなかったメンバーがいました。
それは佐藤夏希でした。


佐藤夏希は今井優と「劇団NY」と呼ばれるコンビを組み、公演MCの名物となっていました。
その"相方"が卒業する現実に立ち直れなくなり、中々前を向ききれない佐藤夏希。
そんな時に宮澤佐江は、彼女に怒りました。
「優ちゃんが卒業して悲しいのはなっちだけじゃないんだよ…悲しいのはみんな一緒で…。
それなのに、"自分だけが特別に悲しいんだ"みたいに前を向かないのはずるいよ!」

普段はめったに感情を露わにしない宮澤佐江の珍しいお話です。
佐藤夏希はその一言をきっかけに、いつまでも下を向いちゃいけないと思ったそうです。
学校の同級生である二人の信頼関係がなければ言えない、友情のエピソードだと思います。



「一緒に話そうよ」
そして、その「ひまわり組」公演が始まると、
卒業メンバーのポストを埋めるなどの理由で、当時研究生だった「4期生」が、
大先輩であるチームAチームKと「ひまわり組」公演で共演する機会がやってきていました。
4期研究生だった倉持明日香もその一人です。


公演によっては、公演メンバーの中で研究生が一人の時もありました。
研究生にとって、大先輩のメンバーと同じ空気に入れるはずもありません。
宮澤佐江は広い目配りで、そんな研究生のケアーを率先して行いました。


後に倉持明日香から送られてきたモバイルメールです。

タイトル「ぽっちゃん」

「ひまわり組1st2回公演のとき唯一の研究生だったもっちぃが
休憩時間に一人になったときに「一緒に話そうよ」って誘ってくれて、
お昼ご飯一緒に食べてその休憩時間中もずっと一緒にいてくれた。
そのときからぽっちゃんがいると安心できて、大切な存在」

(倉持明日香モバイルメールより)


実力がある研究生が、その実力をフルに活かすためにはその空気に溶け込むことが大事です。
大先輩とのステージの緊張を少しでも緩めるのに、一役買っていたと言えます。

こうして宮澤佐江と倉持明日香は、先輩後輩の垣根を超えて大の仲良しになります。
テレビ番組「ネ申TV」内のキャンプ企画では、倉持から宮澤宛てに以下のような手紙が読まれます。

「ぽっちゃんへ。

佐江ちゃんって呼ぶのは慣れてないので、ぽっちゃんと呼ばせてください。
私はぽっちゃんの事が大好きで、自分より年下だけどすごく頼れるメンバーとしていつも見てます。
そして、いつもぽっちゃんに助けられています。

ぽっちゃんは、他のどのメンバーより体調不良だったり悩み事だったり
不安そうにしている私たちにすぐ気づいてくれて、その所を私は尊敬しています。

私はチームKに入って、ぽっちゃんに出会えて本当に幸せでした。
もうすぐチームが変わっちゃうけど、私はぽっちゃんの事がこれからも
ずっとずっと大好きです。
これからもAKB48のメンバーとしてよろしくお願いします。

ぽっちゃんの心の友 明日香より。」

(ネ申TVシーズン3「団結キャンプ」より)






「今日は…」
倉持明日香の手紙に
「他メンバーより体調不良だったり悩みごっとだったり不安している私たちにすぐ気づいて…」
と書いてあるように、宮澤佐江はメンバーの異変にいち早く気づき、
さりげなくそれをフォローしてくれることも多いようです。


初期チームKでチームメイトだった松原夏海に関してのお話です。
自分に自信を無くしてしまい、一人で落ち込んでいた松原夏海。

そんな松原夏海を見た宮澤佐江は、
「今日はなっつみぃの横にいる日!」
と言い、特に何も言わずにずっと横に寄り添っていてくれたそうです。

「メンバーの変化に一番に気づいてさりげなく元気をくれる優しい子」
と、松原夏海も元気をもらったことを振り返っています。






「なんかいうことないの?」
後輩メンバーとさりげなく絡んで仲良くなることでも有名です。

12期生の藤田奈那は、宮澤佐江のことを尊敬しています。
そんな彼女が携帯のメールアドレスを全て消去してしまい、宮澤佐江のアドレスも消してしまいます。

自分からそれを言い出す事が出来ずにあたふたしている藤田に対し、
メールアドレスを消してしまった事実を知った宮澤は
「佐江になんかいうことないの?」
と少し意地悪に自分から声をかけたりと、そのコミュニケーション能力は高いです。
後輩メンバーにとっては身近に相談できる大先輩がいるのは大きなことです。


後輩とプライベートで遅くまで遊んだり、仕事終わりでご飯を食べた時には
「家まで送って行かなきゃね」と、まるで当然のように後輩メンバーを送ってあげる事もあります。
これがメンバーから「チャラい」と呼ばれる所以なのかもしれません。


先輩の空気に馴染めない後輩、元気のない同期と多くのメンバーとコミュニケーションを取り、
よりよりチームを作っていく事に尽力する宮澤佐江。

そんな彼女は「佐江を好きになるのは誰もが一度を通る道、でも結局誰も推してくれない」
ということを良く言います。
しかし、そんな彼女の後輩メンバーからの人望はメンバー内でも随一です。

AKB48が東京ドームの夢を達成する際に、雑誌内で「あなたが最も尊敬するメンバーは?
というアンケートが取られた結果、宮澤佐江はAKB48内で5位にランクインしました。


後輩が、最初の内は先輩の中の空気に入り込めないのは最初は絶対です。
全員が気を遣いあっていてパフォーマンスが落ちるのであれば、
彼女のような架け橋的存在は絶対に必要になってきます。



「ファンレター」
AKB48の1stアルバム「神曲たち」の発売の際、「発売記念メンバー大集結サイン会」が行われました。
これは、メンバーが用意されたサインに目の前で自分の名前を書いてくれるイベントです。

とあるファン宮澤佐江ファンが彼女のレーンに並び、
宮澤佐江はそのファンの名前を色紙に書くために名前を聞きます。
「あっ、やっぱり〇〇ちゃんだよね。
いつもファンレターくれる子だよね?と思ったんだけど自信なくて。
字キレイだから覚えてた!」
と言い、ファンレターを読んでいるだけでなく、筆跡や名前も憶えていたとか。
ビックリさせられるエピソードです。




「時間が無いことを言い訳にするな」
2011年にステラボールにて行われた「スーパーLIVEショー ダブルヒロイン」。

ツインタワー初共演の舞台として、ファンの間が大きく期待が高まった作品でした。
しかし、稽古時間の短さ超過密スケジュール二人の体調不良などが相続ぐ過酷な状況となり、
まさに時間が足りない状況となっていました。

じゃんけん選抜大会」「DiVA新メンバー選考」「1日警察署長」「歌番組3時間生放送」など、
2人のスケジュールを見ているだけでも、稽古時間がないのは明白でした。
"この少ない稽古時間で本当に本番が迎えられるのか?" ファンの不安は募ります。

そして初日――
舞台の幕が上がるとファンの不安を吹き飛ばすかのうように、
2人は20曲を超えるオリジナル曲の歌詞、ダンス、劇中の台詞などをほぼ完璧に仕上げていました。
一体いつ稽古したんだ?と思えるような出来で初日は閉幕。

今回の舞台で、総括などを務めていた作曲担当の田中公平さんは、
初日の舞台をブログでこう語っています。

2011-09-23 06:02:53
『初日無事終了』


「ダブルヒロイン、初日の幕を無事に下ろす事が出来ました。
ご来場頂きました皆様に感謝申し上げます。


この舞台は、実現出来ただけでも凄い事だと思っています。

今をときめくAKBの主要メンバーである秋元さん宮澤さんのお二人の、
あのもの凄いスケジュールの合間を縫って練習時間を捻出して、
懸命に最後の最後まで自分に厳しく、そして明るさを忘れない彼女達には
本当に頭の下がる思いです。

推測ですが、きっとこの3~4日ほとんど寝ていないのではないかな?

演出の先生が『彼女達には強いハートがある!』
と、胸を拳で叩きながらおっしゃっていましたが、私も全くの同感です。


顔合わせの際に宮澤さんが挨拶の中で

『いつも秋元先生から言われていますが、
時間が無い事を言い訳にするな、と。
だから、今回もやれる事を精一杯やります』

と、語られましたが、もう本当にその通りの有言実行ぶり。

佐江ちゃんはそれをいつも明るく、楽しく
絶えずプラスパワーで乗り切ってこられました。


そして、昨日のゲネでも、やっと取れた休憩中にも一人舞台場で
アクションの練習をする秋元さんの姿がありました。


メチャクチャ疲れているだろうに、まさに時間の無さを努力で補っておられました。

プロとしては当然なのでしょうが、20歳そこそこの彼女のそんな姿に
もの凄く感動しました。


チーム内でも、彼女達の信頼度、人気度は非常に高く
そのきさくで明るい人柄に、全員がもうお二人の大ファンになっています。」

(「My Quest For Beauty」より)



『いつも秋元先生から言われていますが、時間が無い事を言い訳にするな、と。
だから、今回もやれる事を精一杯やります』

稽古時間のない彼女たちが結果を出したのは、この言葉に集約されています。
時間が足りない、稽古が出来ない、やる事が多すぎる。
そんなことで言い訳したからといってだからどうなるわけじゃない。
誰かが助けてくれるわけでも、逃げれるわけでもない。与えられた時間の中で頑張るしかない。

今回の舞台を実現する上で、この言葉がまさに「有言実行」されました。


ダブルヒロインで共演した、プロダンサーの舞宮奈央さんは
ツイッターのアカウントにてこうつぶやいていました。





「逃げない」
番組内でメンバーの感動エピソードを語る企画がありました。
そこでは宮澤佐江の中学生時代の話が語られます。


その溌剌さから、小学生のときから友達の中心の輪にいた宮澤佐江。
しかし中学に入学すると、ひょんな女子同士のひがみなどから、それは一転します。
中傷のメールが送られてきたり、同じバスケ部の親友にまで無視されるように。
つまり、いじめです。エスカレートするにつれ、部活の練習も隅でするようになってしまいます。

そうして、誰も信じられなくなった彼女。
そんな彼女を支えた人間が2人います。


一人目は、恩師であるバスケ部の先生です。

兄二人も部活で面倒をみた所以で、宮澤家とゆかりのある優しい教師です。
宮澤佐江がいじめられていることを常に気にかけ、何度も声をかけてくれました。
しかし彼は突然、まだレギュラーではなかった彼女に対して、
部の練習試合で突然の出場命令を出します。

実力も乏しく満足な練習からも遠ざかっていた彼女はミスを連発してしまいます。
そのミスに対し、優しいはずの先生が罵倒を繰り返します。
「辞めてしまえ」
「出てけ」
同校生や他校生の前で、罵倒を浴びさせられ続けた宮澤佐江。
「先生だけは味方だと思ったのに…」。そう思いながら、試合は終わってしまいます。
恥ずかしさと屈辱に号泣する彼女に、彼は近づいてそっと声をかけました。

「よく最後まで試合から逃げ出さなかったな。
先生は佐江が逃げ出したりするような奴じゃないって信じてたよ。
本当のお前は、どんなに辛かったって、逃げ出したりするようなことは絶対にしない。」


先生は彼女を見放したわけではありませんでした。
逆に、彼女を信じているからこそ、このような荒治療で心へ問いかけさせました。

「佐江はいつも頑張り屋さんで、とっても辛い事がたくさんありました。
悔しかったろうけども、でもここで逃げ出すわけにはいかないんだ。
そんな気持ちで、最後まで涙をこらえて戦っていった姿、今でも忘れません。

苦しいから逃げるとか、辛いとかやらないとか、
人がああいうからこういうからとかではなくして、自分で一番を目指して頑張んなさいよと…
そういうことで私はいつもメッセージを伝えたつもりでした。」

(テレビ番組「AKBINGO!」より)


この体験をきっかけに、彼女は学校へもしっかり通うようになり、
本来の元気を取り戻すことになりました。
アイドルになった今も、彼女が目の前の現実から「逃げない」のは
中学校時代の恩師に叩き込められた信条が理由なのかもしれません。




「おばあちゃま」
いじめられていた宮澤佐江を支えたもう一人の人間がいます。
それは、宮澤佐江の祖母でした。

いじめに耐えられなく、学校嫌いになってしまった宮澤佐江を見て、
彼女は自分も過去にいじめられた経験があることを強く話してくれました。

"スカートをズタズタに切り裂かれたり、体操着をゴミ箱に捨てられたりしたんだよって…。
渡しなんかよりぜんぜんキツかった。
自分がいじめられた経験を話すのは、どんなに時がたっても楽ではありません。
祖母も同じだったと思います。
だけど、少しでも孫を元気づけてあげたい、そう思って告白してくれたのでしょう。


「泣かずに生きていけば、いつか必ず、佐江の良さを分かってくれる人ができるから。
うれし涙はいいけど、ツラくて泣いたら負けなんだよ」
と……。

横浜アリーナのステージの上で、感動を噛みしめながら、
祖母のあの言葉を信じて頑張ってきてとよかったと私は心から思いました。
お見舞いに行ったら、こう言おう。

今の私には素敵な仲間がたくさんいるんだよって…"


宮澤佐江はこう語ります。


この祖母のことを宮澤佐江は「おばあちゃま」と呼び、
昔も、そして現在も、宮澤佐江の人生の中でいなくてはならない存在なのです。



「孫はAKB48のKチーム」
そんなおばあちゃまの宮澤佐江に対するアイドル活動への評価は厳しいものでした。
AKB48としての活動を見て、直接「頑張ったね」と褒めてくれることは無かったそうです。

おばあちゃまは、数年前から癌が見つかり再入院を繰り返して山場を迎えていました。
宮澤佐江が見舞いに行った時、目の前にいたのはガリガリに痩せこけてしまった祖母の姿。
ほぼ意識のないおばあちゃまに向けこう問いかけました。

「今、渋谷すごいんだよ!AKBだらけなんだよ!
佐江の顔がデカく駅に貼ってあってね、今そのポスターの前からわざと電車乗って来たのに、
誰も気付いてくれなかったんだよー…!」


AKB48 1stアルバム『神曲たち』を出し、「佐江がどこにいるか分かる?」と聞くと、
きょろきょろとゆっくり表紙を眺めた後に、ジーッと見つめ表紙の右上を指さしたそうです。


嬉しさでが溢れそうになったそうです。
この時から、『神曲たち』は宮澤佐江にとって宝物の一つになっているそうです。




おばあちゃまは、この2日後に天に召されました。

あまりの呆気なさに、信じられなかった宮澤佐江。
みんなが泣く中、彼女は涙も出なかったそうです。
直接褒められることなく別れをむかえてしまい、AKB48にいる自分がどう思われていたのか?
結局それを知る事は永遠になくなったかと思われました。

葬儀が終わり、現実を受け入れ、落ち着き始めたそのときに、
おばあちゃまの友人という方から数年前の年賀はがきを手渡されたそうです。
「孫はAKB48のKチーム、宮澤佐江といいます。応援して下さい。」

チームKがKチームと呼ばれていたのはAKB48初期の時代です。


"祖母はその頃から私の応援を知りあいに頼んでくれていた…。
しかもAKBの上にわざわざエーケービーと、振り仮名まで振ってくれて。
なのに私、ほめてくれないなんて思って…ごめんなさい。

ついに泣いちゃったよ、おばあちゃま。
でも、うれしくて泣いたんだから、負けじゃないよね?
それと、ありがとう…。ほめられるより、嬉しかったよ!"

(雑誌「AKB48 あなたがいてくれたから」より)




「自分から自分へのラブレター」
しかし宮澤佐江が祖母の死をファンに伝えたのは、2か月後のブログでしたでした。

そこには、ある理由があると言われています。
祖母が亡くなった4月から、ファンに伝えられた6月の間には、第2回選抜総選挙が開催されていました。
祖母の死を伝える事で、同情票が生まれるのが嫌だった。
彼女は選挙のとき、どんな時でも「自分の本当の実力を試す」という気持ちを持っています。

この理由が本当かはわかりませんが、彼女の中で様々な考えがったのは間違いないでしょう。

おばあちゃまの名前は、亡くなったあとでも宮澤佐江のブログにたびたび登場します。

2010-08-12 22:21:47
『自分から自分へのラブレター』


わがままで、言うことも聞かない佐江をこれまで育ててくれたママ、パパ

ありがとう。


いつでも応援してくれて、たくさん可愛がってくれたりょーくん、しぃーちゃん

ありがとう。


そして、いつも佐江の味方をしてくれて、たくさんの愛をそそいでくれた、おばあちゃま

ありがとう。

(「おやすみなさえ」より)




2010-12-13 23:29:46
『天まで届け☆HAPPY BIRTHDAY!』




今日は佐江のおばあちゃまのお誕生日


おばあちゃまは今頃何をしてるんだろう??
お祝いしてもらえてるかな?
ケーキは食べたかな?

一年前の今日はどうやって過ごしたのだろう…と思い出そうとしてもちっとも記憶が戻ってきません

それだけ毎日が充実していたんだなとつくづく感じつつも、なんだか物寂しくなりました


お線香と共に、お仏壇の前で手を合わせる度“わたしは今、誰にこんなことをしてるんだろう”
と毎回感じてしまうので、佐江はあまりお仏壇の前には行きません

だけど、今日はおばあちゃまのお誕生日だから…
手と手をしっかり合わせて、心の中で何度も言いました。

“ひろこちゃんお誕生日おめでとう”

と・・・


今でも不思議に感じる行動ではありますが、お祝いはしっかり祝ってあげなきゃと思うので、
今日は日付が変わるギリギリまで、おばあちゃまのお誕生日をお祝いしてあげようと思います

“お誕生日おめでとう”

普通の定型文ではありますが、この一言が天まで届いてる事を願います。

(「おやすみなさえ」より)



2011-04-12 23:05:32
『4月11日。』


4月11日は佐江にとって、もう一つ特別の日でもありました

それは、大好きなおばあちゃまの命日です
あれからもう一年かと思うと本当に早く感じるけど、
実際はまだおばちゃまがお家にいる気がしてたまりません。。。

去年一年は本当に色々なことがあり、人生の中でも忘れられない一年になったけど、
去年のような一年があったからこそ、本当に今年から自分が変わった気がしています(*⌒▽⌒*)
・・・とは言ってもまだまだなんですけどね

常日頃、佐江の頭の中には大好きなおばちゃまがいるので、
これからもおばあちゃまと気持ちを交信しながら、自分を大切に、自分のペースで夢を追いかけ、
AKB48でいれる毎日を楽しんで行きたい思います。

(「おやすみなさえ」より)


おばあちゃまが生きていた時も、そして今でも彼女を支える大事な存在になっているんでしょうね。



終わりに
彼女のもつ気遣いの心は中学校時代にいじめられていた経験からきています。
彼女の目の前の事から逃げない姿勢は、中学校時代の恩師が教えてくれました。
彼女のくじけずに前を向くカッコよさはおばあちゃまの影響があります。

彼女の周りの人間や家族が宮澤佐江という人間を成長させたのだと思います。